モダン・タイムズ

最近はNHKのCG教室に通っておりまして、ShadeでCG作成に挑戦してみております。Shadeは以前は自由曲線という特殊なモデリング方法にしか対応していなかったそうですが、最近のバージョンはポリゴンモデリングもついていい感じになっております。

 

初めの内はいかにもCGっぽいCGを描いていたのですが、自分らしさを追求するうちに『CGらしいCGはだれにでも描ける』という結論にたどり着いて、行き着く先まで行き着いた結果は『白黒・影なしのトゥーンシェーディング』でした。かつて透明効果一つ入れるにも一晩の計算時間を覚悟したCGが、今やこうした特殊効果コミコミでもノートPCで一時間以内で計算できてしまうのだから驚きです。技術の進歩とは恐ろしいものです。

 

f:id:nubata001:20140525135713p:plain

 

かつて、とある喜劇王は『モダンタイムズ』という映画を通して、技術の進歩が人々の幸せにつながらないという悲しい現実をコミカルなタッチで描き出したものですが、今はどうでしょうか?実は、あの当時機械は個々のニーズの違いに対応するほど性能が高くなく、人々は画一された生産計画に組み込まれる以外の選択肢を与えられておりませんでした。所が、そうした技術の進歩によって社会が豊かになってくると今度は物余りの時代が幕を開け、画一化された生産物はむしろ売れ残るようになり、今度は商品の差別化が盛んに叫ばれるようになりました。技術力が劇的に向上した結果、むしろ技術力の無駄遣いこそが喜ばれる、そんな奇妙な時代こそが我々が暮らしているこの時代なのだと思います。

 

さて、ところで去年の終わり当たりから、こうした時代の変化を更に加速させる事件が起こりました。3DプリンターやCNCといった工作機械、Raspberry PiやArduinoといったマイコンボード、Internet of Things(IoT)やユビキタスといったキーワードで渦巻く、いわゆるMaker運動と呼ばれるものが本格的に動き出したということです。

 

MAKERS―21世紀の産業革命が始まる

MAKERS―21世紀の産業革命が始まる

 

 

FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」 (Make: Japan Books)

FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」 (Make: Japan Books)

 

 

かつて、モノづくりは職人の手の中で完結するものでした。しかし技術の進化の結果、機械や技術者に対して掛かるコストは莫大なものとなり、結果としてモノづくりは巨大な資本によって支えられる存在となってしまいました。その結果が先にあげた『モダン・タイムズ』に描かれたような『画一商品の大量生産』に代表される『没個性』の時代です。そうした時代を憂い、かつて何人もの人々は、時にボランティア集団として、時に科学者集団として、時に芸術家集団として、時に教育集団として、様々な活動を通じて人々の手の本にモノづくりを取り戻そうとしました。ところが、そうした活動の多くは長くは続きませんでした。なぜなら産業として成立しえなかったからです。

 

OSS運動。これは、画一化されたソフトウェア生産の手段の一部を人々の手に取り戻したと意味では珍しく成功した活動例の一つです。彼らがその次に着手した運動はソフトウェアではなくハードウェアのオープンソース化の活動でした。しかし、それは先に述べたようにすぐに頓挫します。なぜならソフトウェアとは異なり、ハードウェアの生産には巨大な資本によって支えられる生産施設が必要になったからです。しかし、彼らは諦めませんでした。しつこく諦めませんでした。そして、今時代が変わりました。

 

半導体の生産力が有り余るようになり、一昔前のパソコンのCPUに匹敵するマイコンが千円程度で買えるようになってしまい、3DプリンターやCNCといった機械が個人でも買えるようになったことで個人の需要に合わせた機械部品を少数生産することが可能になりました。そして、もう一つこうした活動を推し進めている要素として挙げるべきものはクラウドファンディングです。こうした時代にあわせて少量ロット、ニッチな需要に特化した生産ビジネスを始めるため、個人から小口の投資を集める仕掛けが整ってきたことにより、これまでは生産活動に手を出せなかった層が生産現場に参入してくることで、『没個性』の時代は終わりを告げ『脱・没個性』の時代が幕を開けつつあります。

 

かつては、均一化された『大衆』という仮想の存在に向けて大量の商品を生産し、販売するというモデルは至る所で破綻を示し、一方では個人個人の需要に対応した少数特化モデルを生産し、販売するというモデルが新たなビジネスモデルとして確立するようになりました。そうした時代の生産現場はかつて喜劇王が描いた没個性の機械化された大量生産の現場ではなく、むしろ個々人の需要に合わせたオーダーメイド商品を一つ一つ生産していく、一見すると昔ながらの素朴な『手作り産業』の時代にも逆戻りしたかのような風景になっていくでしょう。『モダン・タイムズ』の時代よりはや80年、時代は廻るとはよく言ったものです。